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博士ウラジミール・コス神父の人生と作品を偲ぶ詩の朗読会

12月15日、スロベニアと日本の交流30周年を記念して、在日スロベニア共和国大使館は、スロベニア人とスロベニアの友人のために、ウラジミール・コス神父の人生と仕事を偲んで詩の朗読会を開催しました。

リサイタルの紹介で、ティナ・ヴォドニック臨時代理大使は、コス神父の人生と東京のスロベニア共和国大使館とコス神父との協力について紹介しました。コス神父は日本で最も長く生活したスロベニア人で、日本には1956年から在住されていました。第二次世界大戦後、日本がボランティアを必要としていたため、イエズス会の宣教師として来日されました。

上智大学の教授として教鞭を執られ、英語とドイツ語、そして哲学とラテン語を指導されました。日々の生活をこのように語られました。「朝には高度に知的な環境に身を置き、夜にはゴミ拾いをする人たちと一緒に過ごしました。大学での私のオフィスの半分は倉庫で、貧しい人々や孤児に配る衣服やその他のものでいっぱいでした。」

コス神父は在日スロベニア人社会の重要な一員であり、両国の強い関係と友情に目に見える形で貢献されました。そして今年7月、スロベニアと日本の外交関係樹立30周年を祝う年に、コス神父はお亡くなりになりました。

コス神父は、大使館やスロベニア・日本友の会が主催するスロベニア人の会合に出席することを好まれ、大使館が主催する「スロベニア文化の日」の祝賀会には、いつも彼の詩がありました。96歳のとき、大使館の依頼で、スロベニア建国30周年記念に「私のパスポート」という感動的な詩を詠まれました。

2004年、彼の文学作品、世界におけるスロベニアの文化と言語への貢献、そして慈善活動が認められ、ボルト・パホル スロベニア共和国大統領より金メダル勲章が授与されました。その10年後、2冊の詩集『Poems from the Japanese Islands』と『At the Slightly Trembling Tokyo Harp』でプレシェーレン基金賞を受賞しました。受賞の理由の中で、彼は「移民として最も偉大な詩人」と評された。

また、スロベニア・日本友の会会長のイェリサヴァ・ドボウシェク・セスナ氏は、コス神父を「いつも適切な言葉で慰める方法を知っている、温かく思いやりのある人」と偲び、参加者に向けて講演を行いました。また、コス神父と数十年にわたり共に仕事をしてきたロバート・キエサ神父が、コス神父の生涯を紹介しました。

コス神父の詩は、大使館職員、在日スロベニア第二外国語センターの学生、そして日本在住のスロベニア人、モイラ・ラングア・フランツッティ女史によって朗読されました。

私たちは2首の短歌と以下の詩を朗読しました。

 「そう、ある朝に」

「ピンクの椿について」

「雪、雪、東京でも」

「私のパスポート 」

コス神父の笑顔と優しい言葉の詩は、その場にいたすべての人々の永遠の記憶に残ることでしょう。